浸艶の原点③ アレルギーでサツマイモしか食べられなかった幼少期

浸艶の原点③ アレルギーでサツマイモしか食べられなかった幼少期

前回は、アトピーのかゆみで眠れなかった頃の話を書きました。

寝ている間に掻く。

朝起きると、腕や首に血が出ている。

服にも血がついている。

子供の頃の僕にとって、それはかなり大きな記憶として残っています。

でも、僕の幼少期で大変だったのは、肌だけではありませんでした。

アレルギーもかなりひどかったので、食べ物や飲み物もかなり制限されていました。

 

幼稚園前後が、一番ひどかったと思います

 

アレルギーが特にひどかったのは、幼稚園前後だったと思います。

ただ、その頃の記憶は正直あまりありません。

 

本当に小さかったので、何をどこまで制限されていたのか、はっきり覚えていない部分も多いです。

 

覚えているのは、牛乳と小麦くらいです。

それ以外は多すぎて、はっきりとは覚えていません。

牛乳。
小麦。
それ以外にも、たぶんたくさん。

でも幼稚園前後が一番ひどかったので、
記憶があまりないんです。

だから、今の僕が細かく覚えているというより、家族の話や断片的な記憶の中に残っている感覚の方が近いです。

それくらい小さい頃から、食べるものにはかなり制限がありました。

 

サツマイモしか食べれないくらいでした

 

一時期は、本当に大げさな話ではなく、

「サツマイモ」しか食べれないくらい、食べ物や飲み物を制限されていました。

 

こう書くと、かなり極端に聞こえると思います。

でも、僕の中ではそれくらい食べられるものが限られていた幼少期でした。

ただ、子供の頃の僕は、それをものすごく苦に感じていたわけではありません。

 

出されたものだけを食べる。

それが当たり前だったからです。

 

みんなが何かを食べていて、自分だけ違うものを食べる。

そういうこともあったのだと思います。

でも、その時の僕にとっては、それが日常でした。

 

子供の頃の感覚

出されたものだけを食べる。
それが当たり前。
幸い、好き嫌いもあまりない。
だから、食事制限そのものは、
思っているほど苦ではありませんでした。

幸い、僕は好き嫌いがあまりありませんでした。

それは本当に救いだったと思います。

もし好き嫌いが多い子供だったら、母親はもっと大変だったはずです。

 

つらかったのは、食べられないことより見た目でした

 

食べ物や飲み物を、みんなと同じように口にできない。

それは普通に考えたら、子供にとってかなりつらいことだと思います。

 

でも、僕の中では、そこはあまり気にしていませんでした。

それよりも嫌だったのは、やっぱり見た目です。

 

アトピーで、肌の状態が明らかに違う。

腕や首を見られる。

みんなと同じように見えない。

そこが嫌でした。

みんなと同じになりたい。

 

子供の頃の僕は、ずっとそう思っていました。

 

今思うと、母親はとてつもなく苦労したと思います

 

食事制限について、子供の頃の僕はそこまで深く考えていませんでした。

出されたものを食べる。

それだけでした。

でも今振り返ると、母親はとてつもなく苦労したと思います。

 

何を食べさせていいのか。

何を避けた方がいいのか。

どの食材なら大丈夫なのか。

どうすれば少しでも体が楽になるのか。

 

毎日、そんなことばかり考えていたはずです。

僕はただ、出されたものを食べていただけでした。

でも、その裏側には、母親の調べる時間や、考える時間や、試す時間があったのだと思います。

 

僕は、食事制限をそこまで苦に感じていませんでした。
でもそれは、母親が先に悩んで、調べて、選んでくれていたからだと思います。

当たり前の裏側にあったもの

 

子供の頃の僕にとって、食事制限は日常でした。

 

出されたものを食べる。

飲めるものを飲む。

食べられないものは口にしない

 

それが当たり前でした。

 

でも、大人になってから考えると、その当たり前は、勝手にできていたものではありません。

 

毎日の食事を管理する人がいて、

何度も調べて、

何度も考えて、

何度も試してくれていたから、

僕はただ「出されたものを食べる」だけでいられたのだと思います。

 

今も残っている感覚

 

小さい頃のアレルギーの影響で、僕の中には今も残っている感覚があります。

 

口にするものには、できるだけ気をつけたい。

肌につけるものにも、できるだけ気をつけたい。

なんとなく良さそう、だけでは選びたくない。

 

その感覚は、かなり小さい頃からの経験で自然と残ったものだと思います。

もちろん、子供の頃の僕がそんなことを考えていたわけではありません。

ただ、出されたものを食べる。

 

食べられるものを食べる。

それが日常だっただけです。

 

でもその日常の中で、知らないうちに、自分の体に入れるものを慎重に考える感覚が育っていたのかもしれません。

食べられるものが限られていたこと。
飲めるものが限られていたこと。
それが当たり前だったこと。

今の僕の選び方は、
たぶんその頃から少しずつ作られていました。

母親の部屋にあった本

 

子供の頃の僕は、

母親がどれだけ調べてくれていたのかを知りませんでした。

 

食事を管理してくれていたことは、なんとなくわかっていました。

でも、その裏側でどれだけ本を読んで、どれだけ勉強していたのかまでは、まったく知りませんでした。

 

それに気づいたのは、高校生くらいになってからです。

母親の部屋に、医学や栄養学の本が山のようにありました。

その量を見た時、僕は本気で思いました。

 

「医者になるの?」

 

続く・・・・・


ブログに戻る

記事監修

薬剤師 蓑原 修 先生

薬学部薬品製造学卒、協和発酵株式会社(現・協和キリン)医薬事業部就任、当会社退職後、多数の美容外科クリニック(ヴェリテクリニックetc)を設立指導。現在、多数の製薬会社・化粧品メーカーの学術顧問就任 現在に至る。

公式LINE登録でクーポンを受け取る

見出し下の画像

クーポンは「公式LINEにご登録いただいている方限定」でお届けしています。
未登録の方にはクーポンをお送りできませんので、ぜひこちらからメールアドレスをご記入の上、お得な公式LINEにご登録ください。

友だち追加