浸艶の原点④ アトピー・アレルギーの僕を支えた母と栄養学の本
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前回は、アレルギーで食べられるものがかなり限られていた幼少期のことを書きました。
サツマイモくらいしか食べられない時期があったこと。
給食ではなく、お弁当だったこと。
家族で外食した記憶がほとんどないこと。
でも子供の頃の僕は、それをそこまで苦に感じていませんでした。
出されたものを食べる。
それが当たり前だったからです。
ただ、大人になってから振り返ると、その当たり前を作ってくれていたのは母親でした。
母親の部屋に、本が山のようにありました
ある時、母親の部屋に本がたくさんあることに気づきました。
栄養学の本。
家庭の医学のような本。
とにかく、山のようにありました。
最初に見た時は、はてなばかりでした。
なんでこんなにいっぱいあるんだろう。
誰のための本なんだろう。
何のための本なんだろう。
誰が読んでいたんだろう。
医者になるの?
そう思うくらい、
母親の部屋には医学や栄養学の本がありました。
最初は、自分のためだとは思いませんでした
その本を見た時、僕はまだすぐに自分のことだとは思いませんでした。
親戚から勉強のためにもらったのかな。
親族で、そういう道を目指していた人がいたのかな。
そんなふうに思っていました。
でも、気になって母親に聞きました。
そこで初めて、その本が僕のためだったことを知りました。
昔、僕がサツマイモくらいしか食べられなかった頃。
何を食べさせればいいのか。
何を避ければいいのか。
どうすれば少しでも体が楽になるのか。
その勉強のために、母親がずっと読んでいた本でした。
笑い話のように言われた言葉
母親は、それを重たい話として話したわけではありません。
笑い話のように話していました。
「あんたは昔、捨てようかと思うくらい体が弱かったのよ」
そんな感じで、笑い飛ばすように言われました。
その言葉を聞いた時、僕も深刻に受け止めたというより、
ああ、そんなに自分は体が弱かったんだな。
そう思いました。
でも同時に、自分の記憶にない時期の方が、むしろ母親は大変だったんだとわかりました。
僕が覚えていない頃に、
母親はずっと調べていた。
本を読んで、試して、また考える。
それを何度も繰り返してくれていたのだと思います。
親孝行の心が芽生えた瞬間
その時、親孝行の心が芽生えました。
親に感謝しないといけない。
綺麗事ではありません。
自分がこんな子供を抱えていたら、想像を絶するくらい大変だったはずです。
食べられるものが少ない。
肌も弱い。
咳も出る。
夜も眠れない。
その子供を毎日見ながら、何ができるのかを考え続ける。
それは簡単なことではなかったはずです。
だから、恩返しできる時にしておかないといけない。
心の底からそう思いました。
知ることの大切さも、この時に感じました
母親の努力に気づいたことで、自分の体質への見方が大きく変わったかというと、そこは少し違います。
それよりも、物事をもっと知った方がいい。
知っておいた方がいい。
そう思うようになりました。
何も知らなければ、判断できません。
何が必要なのか。
何を避けるべきなのか。
何を信じればいいのか。
それを考えるためには、まず知る必要がある。
母親の部屋にあった本は、僕にとってそのことに気づくきっかけでもありました。
でも、子供の頃の僕が見ていたのは別のものでした