浸艶の原点④ アトピー・アレルギーの僕を支えた母と栄養学の本
Share
前回は、アレルギーで食べ物や飲み物をかなり制限されていた頃の話を書きました。
幼稚園前後が一番ひどかったので、正直、僕自身の記憶はあまりありません。
牛乳や小麦は覚えています。
それ以外は多すぎて、はっきり覚えていません。
一時期は、本当に大げさな話ではなく、
「サツマイモ」しか食べれないくらい食べ物や飲み物を制限されていました。
でも、子供の頃の僕は、それをそこまで苦に感じていませんでした。
出されたものだけを食べる。
それが当たり前だったからです。
ただ、その当たり前の裏側に何があったのか。
それに気づいたのは、もっと大きくなってからでした。
母親の部屋に、医学の本がたくさんありました
高校生くらいになってからだったと思います。
母親の部屋に、医学についての本がたくさんあることに気づきました。
「医者になるの?」
そう思うくらい、本当にたくさんありました。
特に、食事や栄養学に関する本が山のようにありました。
医学の本。
食事の本。
栄養学の本。
子供の頃の僕は、
そんな本が家にある理由を知りませんでした。
その時、母親に聞きました。
すると、母親は笑い飛ばすようにこう言いました。
「あんたは昔、捨てようかと思うくらい体が弱かったのよ。
だから、たくさん本読んで勉強したの」
その言葉を聞いた時、親孝行の心が芽生えました。
僕は、何も知らずに食べていただけでした
子供の頃の僕は、食事制限をそこまで苦に感じていませんでした。
出されたものだけを食べる。
それが当たり前だったからです。
でも今思うと、その「出されたもの」の裏側には、母親のとてつもない苦労がありました。
何を食べさせていいのか。
何を避けた方がいいのか。
どの食材なら大丈夫なのか。
どうすれば少しでも体が楽になるのか。
毎日、考えることばかりだったはずです。
僕はただ、出されたものを食べていただけでした。
でも母親は、来る日も来る日も本を読んで、実践して、うまくいかなければまた調べて、トライ&エラーを繰り返してくれていたのだと思います。
生き地獄だったのは、僕だけではなかった
僕は過去に、アトピーもあり、アレルギーもあり、さらに小児喘息もありました。
アトピーで血だらけな上に、咳が止まらない。
かゆいし、咳で喉も痛い。
咳をし過ぎて、背中も筋肉痛みたいな感じで痛くて寝れない。
そんな生き地獄みたいな幼少期を送っていました。
ただ、生き地獄だったのは僕だけではなかったと思います。
母親も同じくだったと思います。
子供の僕は、ただ苦しかった。
でも母親は、
その苦しさをどうにかするために、
ずっと調べ続けてくれていました。
当時の僕は、そんなことを何も知りませんでした。
ただ、かゆい。
ただ、咳がつらい。
ただ、みんなと同じになりたい。
そればかり思っていました。
母親を信じてよかったと思っています
今振り返って、幼少期の自分に一言かけるなら、
大丈夫、必ずよくなるから。母親を信じて。
そう言いたいです。
結果論かもしれません。
でも、自分の母親が母親じゃなかったら、今の自分の状態まで来られていたかわからないくらいだと感じています。
あの山のような量の本を、来る日も来る日も読んで、実践して、トライ&エラーを繰り返してくれていたと思うので。
だから僕にとって、食事や体のことを考えるというのは、急に大人になってから始まったものではありません。
ずっと家の中にありました。
母親が本を読み、食事を考え、僕の体と向き合ってくれていた。
その時間が、今の僕の考え方にもつながっていると思います。
でも、子供の僕が見ていたのは母の努力ではありませんでした
母親の努力に気づいたのは、高校生くらいになってからです。
それまでは、正直ほとんどわかっていませんでした。
子供の僕が見ていたのは、母親が読んでいた本ではありません。
自分の腕でした。
自分の首でした。
人から見える、自分の肌でした。
食べ物や飲み物を制限されることよりも、僕にとってつらかったのは、見た目が明らかに違うことでした。
みんなと同じになりたい。
子供の頃の僕は、ずっとそう思っていました。
続く・・・・・